【Book】灰色の闇と愉快な仲間~「特捜部Q」シリーズという希望~

こんばんは、@vertigonoteです。
さて、今宵はわたしが大好きなデンマークのミステリ・シリーズ、ドラマ化が進められていることでまた話題にものぼる機会が増えている「特捜部Q」シリーズのお話を。

いわゆる「ガールズカルチャー」の文脈にある小説ではないと思うのですが、このミステリシリーズはお友達の女子たちの間ですごく評判がいい作品なのです。その理由はいくつかあると思うのですが……まずはシリーズを振り返ってみましょう。

特捜部Q ―檻の中の女―■まず1作目の「檻の中の女」。若く美しい女性政治家ミレーデが監禁され続けている「檻」の中の世界と、迷宮入りしていたその事件の担当部署として開設された「特捜部Q」で捜査を担当する羽目になった主人公カールたち、2つの視点で交互に描かれていくスリリングな警察小説です。この第1作で私はすぐにキャラクターの妙と軽妙な会話の虜になりました。
仲間たちを死傷させてしまったというヘヴィーな過去を背負って傷つき悩みながらもかなり煩悩だらけ、組織内でもしたたかでルールを簡単に捻じ曲げるカールさんかわいい。精神科医の美女モーナさんにコテンパンにされるところの可笑しさったら!悪魔のような別居中の妻やその連れ子に振り回されながら、やる気もない閑職に追いやられたはずの彼が、ふくれっ面で難事件に取り組んでいくうち彼自身の再生につながっていくというのは王道なのだけど、イジイジしてなくて現実に生きてるところが素敵。なんだかんだ言いながら警察の仕事を愛している彼のことを、いつしかこちらも応援したくなるのです。

何よりそのカールに無理やり押し付けられた部下、シリア系で運転がめちゃくちゃで天才的頭脳を持っているらしいのだけれど、コピーのとり方を知らなかったり簡単な単語を理解してなくて「常に何かがずれている」アサドがとにかく良いキャラクター。登場シーンから最後までもうとにかくアサドかわいいよアサド!異常に濃いコーヒーや謎のお茶を淹れ、(私にも淹れて!我慢して飲むから!)、奇妙な料理で部屋いっぱいにスパイスの匂いをあふれさせ、お堅い女性職員と何時間でもお喋りできて、「はい、警察が大好きなんです!」とあっけらかんと答える謎の人物アサド。2人の妙なやりとりを見てるだけで幸せな気分になる。バディものとしての楽しさはこの1作目で既に確立されていました。長期にわたる監禁という過酷な状況のなか、正気と狂気の境で震えながら「生きて還らねばならない」と孤独に戦いつけるミレーデの姿はもちろん、女子たちがやたら生意気でしたたかなのも北欧ミステリらしいなあ、と嬉しくなったポイント。

Kvinden i buretちなみにドラマではこんな雰囲気。皆さんのイメージとは一致してるでしょうか?カール(右:ニコライ・リー・カース)さんイメージどおり!原作だと「冴えない中年」風に描かれてたアサドにファレス・ファレスはちょっとかっこよすぎるかも…?

特捜部Q ―キジ殺し―■1作目が気に入ってワクワクしながら読んだ2作目、「キジ殺し」は冒頭のシーンで“狩り”の標的にされているのが誰かということがひとつのミステリーであり、謎の路上生活者女性キミーが彼女の人生を奪った者への復讐をどのように為すかというミステリーにもなっていて、語り口はますます快調。1作目に負けず劣らず弱者に対する陰惨な暴力と女性支配の描写は過酷で、ぞっとさせられます。が、そこに“負けん気が極端に強い以外は大いなるふつうの人”であるカールさんたちが挑む姿に、灰色の世界が光を宿していく。今回も謎めいた助手のアサドは大活躍!

・・・のはずなのですが、新たに登場してその座を奪いかねない勢いのローセ嬢が今作の主人公とさえいっていい迫力。ゴスっこですんごい優秀で警察イチのトラブルメイカー、好き勝手に暴れる特捜部Qのスーパー秘書がカールさんに「お前には慈悲というものがないのか」という突っ込みを入れまくる!「特捜部」というゴツい名前にしては、なんともすっとぼけた愉快な仲間たち。なんとなくイギリスのTVドラマシリーズにありそうな、深刻な状況なのに何故か毎回コメディみたいなやりとりになってしまうというユーモアの交え方がこの作品で完全に確立したといえるでしょう。

特捜部Q ―Pからのメッセージ―■さて、3作目「Pからのメッセージ」は信仰宗教団体のルールゆえに謎のままになっていた誘拐された子どもたちの物語という無慈悲な事件がメインに。ひとつの古いボトルのなかのメッセージ。Pとは誰なのか、海の向こうから流れてきた言葉を解き明かしていくうち、過去におきた「事件」の残酷や特捜部Qの必死の捜査(の割にやってることがやっぱりスチャラカな特捜部Q、今回はローセの「姉」であるユアサが大暴れ…!)が見えてきます。

今作においては1・2作目以上に「今まさに起きていること」に対峙する、ひとりひとりは弱く虐げられている母親たちの「子どもを奪ったもの」への憎しみと、自分の弱さに向き合った共闘の美しさが物語の底に力強いメッセージとして敷かれているのが印象的です。新興宗教そのものの断罪ではなく、そこにいる人間たちの過去の重荷を社会が救えないということを、そこから生まれてしまうモンスターの必然と同等に描いているところもすごくフェア。最大の問題は閉じたコミュニティの「犯罪」の手前にある見えない暴力に「外側」からでは何ら触れることができないということ――「支配」の構造の問題視(しかもそれが「男性の女性・子どもたちの支配」に直結しがちなこと)をきちんと描いている態度がとても誠実に感じられました。

特捜部Q ―カルテ番号64―■そして現在日本で出ている最新作、4作目は「カルテ番号64」。優生学、差別が呼ぶ差別、自己肯定のために塗り重ねられる恐ろしい犯罪。自分の生来の立場の肯定のために他人を貶めて成り上がっていく人間たちの狂信の恐ろしさ。『孤島の王』(やその元ネタである『カッコーの巣のうえで』)の女性版のようなスプロー島で恐ろしい体験をした女性ニーデが企てる完全犯罪としての復讐を描く過去パートに、カールやアサドが体験している現在進行形のマイノリティ差別問題を絡めて怒りをぶつけたパワフルな作品なのですが、これはわたし……このシリーズで初めて泣きました。
誰にも肯定されなかった女性に初めて「わたしは(あなたは)、これでいい」が告げられた瞬間、そしてその言葉が忘れられていなかったことが描かれた瞬間に、比喩でなく涙が出ました。他人に定められた運命にあらがう、小さな戦う女たちの物語を描き続けるこのシリーズのテーマが最も象徴的に描かれた1作なのではないでしょうか。

私たちがずっと前に思いついた短い言葉をきみが世の中に向かって大声で言えることをとてもうれしく思っている――わたしはこれでいい!
娘よ、そのことを忘れないでくれ!

圧倒的な暴力の世界に屈しないサバイバーである彼女たちの「わたしのからだはわたしのもの」のための戦いは、遠い北欧の小さな国デンマークの物語という以上の普遍性があります。

「スプロー島の施設を、ソ連時代に体制批判した人々が収容されていた精神病院や、チャウシェスク政権下のルーマニアの孤児院と比べてみてください。ほらね!わたしたちのほうが善人だなんてまったく言えないでしょ!」

ローセの叫びは作家本人の伝えなくてはならないという意志の叫びに思えます。他人の身体を、精神を自由にする権利など誰にもない。シリーズ内では特捜部パートのユーモアは控えめですが、そこにもは題材に対する「覚悟」の深さがみえる気がしました。

■とシリーズを追うごとに増していく自国の負の歴史を背負う覚悟の深さと事件の残酷さ・根深さ、描かれる昏い海の色、北欧の映像や小説を読むたびに眼前に広がる特有の陰鬱な灰色で冷たい闇――ここで描かれるのはわかりやすい「黒」の闇ではなく、荒涼感は凄まじいのに光が強い「白夜の闇」のようなものを感じるのです――は凄まじいものがあるのですが、わたしはそれを越える「光」を描くところにこのシリーズの最大の魅力があるように感じています。どんな悲しい結末や陰惨な事件を描こうと、「世界はこんなにも醜い」では終わらない。それはフィクションの力の肯定だと思うのです。
そしてすべての作品において、無自覚に「戦う女性たち」と共闘していく特捜部Qの愉快な仲間たちの存在は、女子ファンの多さの理由のひとつであるはず。性別を越えて、「人間としてのまっとうさ」を貫く、スチャラカなはぐれもの寄せ集め集団Qの活躍という希望に、少なくとも私は毎回勇気づけられています。

パーソナルな、あまりにもささやかな人間性の覚醒を、善の力を、教育の意義を信じる書き手。戦う女性たちと、愉快な仲間たち、灰色の闇のなかでも決して消えない希望の光。すべての過去は今に通じているなら、今からだって遅くはないはず。
――「特捜部Q」シリーズ、未読の方はぜひご一読を。

Jussi Adler-olsen forfatterbeskrivelse altfortalt
余談ですが、オールスン氏、俳優さんみたいで素敵ですよね…結構コワモテのおじさまがこういう作品を書いていることもまた私たちを勇気付けてくれる気がします…!(@vertigonote)