【Movie】【Book】定型が反転するとき~女とノワールの可能性~

darkedinburgh_walkingawayこんばんは、@vertigonoteです。
突然ですが、皆さんは「ノワール」はお好きですか?

という問いかけに、お好きな方は「そのノワールという言葉はどのような定義で?」と返答されることでしょう。これほど1ジャンルとしてよくきく、にもかかわらず「厳密な定義ができない」漠然と、しかし確かに存在しているジャンル名も珍しいように思うのですが(この単語の詳しい歴史と発展の経緯については『ノワール文学講義』に詳しいかと思います)今日お話ししてみたいノワールについては「所謂」だと認識していただければ幸いです。「裏社会あるいは暴力や不信や悪意の横溢する世界が舞台+どうしたって完全なハッピーエンドにはならないことが運命づけられた犯罪劇」くらいを必要条件に「虚無と閉塞」の要素があるもの、としていただければと。(ちなみに私は個人的な定義としては「彼岸に渡りて帰る道なし」というのがノワールだと思っています)

この分野、特にフィルム・ノワールとされる映画分野と密接な部分ではないかと思うのですが、「満たされぬ男」「金」「運命の女(ファム・ファタール)」「裏切る/裏切られる」「破滅」といった定型があり、逆に言えばこの「定型」があるからこそジャンルとしてそこまで詳しくなくても「イメージ」として知られているのではないかと思います。girl

さて、前置きが長くなりました。本日はこの「定型」の中でも特に重要な基本的に「男の物語」として描かれてきたジャンルである、ということを鮮やかに反転することで「新しい景色を見せてくれる」作品のご紹介です。

暗黒街の女このことを意識するきっかけになったのは昨年、偶然手に取ったミーガン・アボットの『暗黒街の女』でした。こすっからい犯罪の手伝いをしていた主人公は「わたし」(一人称、名前のない女)。冴えない格好で冴えない会社で家族のために経理としてわずかな給料をもらいながら、その場所から出ていきたいと願っていた「わたし」が彼女に出会ったとき、わたしは彼女になりたいと思った――という出だしから一気に引きこまれる。舞台は50年代~60年代。美しく冷徹なギャングの女幹部グロリアに見出された上昇志向の強い娘が暗黒街で才覚を示して成長していくものの、ろくでもないギャンブラーと恋に落ちてしまったことから彼女に秘密を持つようになり……というお話です。これが「男」と「男」のノワールだったらどこまでも「定型」に沿ったもの、しかし「女」と「女」の話になればそれだけでここまで面白くなるということにとてもわくわくして読みました。人死にの周囲にもウェットな感情よりも激しい癇癪や計算が強く描かれていて、短いなかにぎゅっと濃縮された「乾いた血」のエッセンスがとても美しい。

queenpin過去の取引の失敗によって引き攣れた傷を持つ、完璧に美しい脚をしたQueenpin(原題)、非情な女王が「わたし」にだけは他にはない愛着をみせながらもどこで切り捨てるかわからない、という甘く濃密でありながら乾いた関係性のドラマが緊張感をもって描かれています。2人の女の関係のキーアイテムになるのはレターオープナー。剣の形をしていて柄の部分に向かい合うよく似た女の顔が彫り込まれたアンティークのレターオープナーを送った「わたし」を認め、そのプレゼントを終始持ち歩き、「わたし」を二世に仕立てあげていく女王、というのもロマンティックで不穏なムード。この語り手の「わたし」が彼女が認めるだけの才覚と機を見る高い能力がある存在でありながらルーキーなので脇が甘く、ほれ込んだ男がろくでなしなのがわかりながら乱暴な情事のあとの痣を慈しんでしまうような女として「どちらに転ぶかわからない」不安定さを持っているのもとてもいい。ラストにどこに向かうのかはある程度わかってはいるのに、拍手を送りたくなりました。

さよならを言うことは日本では残念ながらミーガン・アボットの作品で翻訳されているのはこの『暗黒街の女』と『さよならを言うことは』の2作のみ。最近この『さよならを言うことは』も読んだのですが、ミステリにおける過去のある謎の女の行動理由をどういう目的に設計するのか、という点で陥りがちな罠を巧妙にすり抜けていて(「悪女」を悪を目的にした空洞にするのも「かわいそうな女」にされても厭だなあと思ったのですが、この作品はどちらにも転んでいません)こちらもとても気に入りました。

これも「女」と「女」が間に「男」を挟んで互いを見つめているという話で「男と男が女を介して結びつく」ノワールにおいての関係性が男女反転されています。主人公である教師のローラは完璧な兄ビルに強い愛情を持っている。兄妹の関係としてはあやういほどに。だからこそ彼女は突然兄の前に現れあっという間に結婚してしまった、映画業界で衣装係をやっていたという兄の妻アリスの言動や態度、奇妙な交友関係に違和感を抱いて彼女の身元を調べ始める。

diealittle面白いのがローラのアリスへの感情は「好きな兄を奪った女の過去を暴露したい」というよりも「アリスがいた世界を覗きたい」という誘惑されているような感情に基づいていること。そしてローラがどこかでそれを知っているように見えること。親愛でも憎悪でも恋愛でもない、女―男―女の歪なトライアングル。兄の「ヒロイン(≒ヒーロー)」としての現実味のなさ、ローラの目からみた「夢の男」性の描き方にニヤリとさせられます。冒頭で主人公がさりげなく語っている兄の髪についてのエピソードがクライマックスで意味を持ってくる展開には震えました。

全く知らずになんとなくあらすじが気になって読んでみて面白がったあとに調べてみたところ“女とノワール”文脈においてミーガン・アボットは最重要人物の一人らしく、日本では出ていないようですが、こういったアンソロジー(タイトル!)も編集しているよう。ここでミーガンにならんでコメントを寄せている、クリスタ・ファウストやカティ・アンスワースといった作家の作品もいつか読んでみたいものです。

では映画ではこういった作品はないのでしょうか?ありますあります!残念ながらまだ数は多くないと思うのですが、この「男女反転ノワール」のマスターピースが現在おそらく世界で最も裏社会映画を得意とする韓国から出現しました。それが4月2日にDVDが発売されたばかりの『コインロッカーの女』です。

コインロッカーの女地下鉄のコインロッカーに捨てられていた少女イリョンは幼いうちに悪徳警官に売り飛ばされ、仁川のチャイナタウンで闇貸金業を営む「母さん」と呼ばれる女ボスの元で「使える」と判断されて他の子どもたちと一緒に育てられることになる。やがて成長して犯罪組織の一員としてどんな命令にも従い、男以上に荒っぽい手段も恐れず金をとりたてる容赦ない存在になったイリョンが、あるとき取り立て先で父の借金を背負わされながらも不幸な自分を憂うことなく夢を諦めない、健気な青年ソッキョンに出会うことで運命が狂い始める――ここに描かれる「疑似家族の犯罪組織の掟しか知らずに育った凶暴で寂しい野良犬が、優しさに触れたことで崩壊が始まる」物語は男たちの世界として描かれてきたファミリー・ノワールでは完全に「定型」でしょう。しかし男女を入れ替えることで発生するドラマを描くことだけでここまでのジャンル批評/アップデートとなりうるというのが嬉しくなるのです。男女逆パターンだとよく出てくる「貧しいけど天使のように心が美しい、しかし純真なゆえに危険な状況で聞き分けのないヒロイン」を男子(パク・ボゴム)がやっていることからもすごく男女反転に意識的な映画なのを感じました。

coinlockergirlそして何よりもこのドラマを説得する身体と顔を持っているイリョン役のキム・ゴウンが実に素晴らしい。幼少期のイリョンが大人になって物陰から現れる、という時間の一瞬で圧倒的な「ああこの子は冷徹に自分の状況を把握し続けてきた子なんだ」という存在感。うろんな表情で賭場に脚を踏み入れるガニ股歩き(これがあるシーンで服装が変わった後で歩き方が同じ、ということで痛ましく切ない気持ちを抱かせるのもとてもうまい)、丸めた背中、殴られて吐き出す血、決して泣かない狼のような娘。強烈な三白眼で何もかもを睨み返して生きる覚悟の据わった顔立ち――というより面構えと言いたくなるようなあの目つき、頬をすぼませるしょぼくれたチンピラ風の煙草の吸い方。その絶対に泣かない「娘」と絶対に泣かない「母」がどういう場面でどういう表情で対峙するのか、の瞬間は引き伸ばされたクライマックスの慟哭で鮮やかに立ち上がってくる。物理的なハングリーと精神的なハングリーが重ねられていて、イリョンが最初にファミリーの一部になるのは「おなかすいた」というひとことであり、「食べさせてくれた」母に忠誠を誓うことになる、という「食」の描写もとてもうまい。
「決めたらやる」それがたった一つの掟として機能していて、徹底した役に立つ「から」生かしている人間が役に立たない「のに」生かしてしまうことがすべてをかき乱していくさまがとてもスリリングで、「生まれてこなければ」の絶望はやがて「生まれてきた以上」の覚悟に変わっていく。a smoke after the warも見事なので、『新しき世界』がお好きな方にも是非お勧めしたいです。COIN_LOCKER_Girl_Still

今作のハン・ジュニ監督はインタビューの中で「男性を主人公に変えようという言葉に一度も揺れたことはなかった。」「女性が主人公であれば独特じゃないか」などのアプローチではなかった。伝統的な価値において女性はいつも守る存在だったと思う。「コインロッカーの女」で母という人物は生計や生存のために権力を持っている。映画「ゴッドファーザー」でドン・コルレオーネを始めとする男性たちは富と名誉を志向する。両方とも家族について取り扱っているが、違いがある。男性は富と野心に対するストーリーに、女性は生計と生存に関するストーリーに向いていると思った」と述べています。確かにノワールを「美学も感傷も捨て置いて、最後に生き残りをかける選択」に宿るものとすれば、女が女であることの社会圧、生存のための支配力学の強さは新たな傑作につながっていく可能性は高いかもしれません。「女とノワール」のシーンには、小説・映画ともに今後も注目していきたいと思います。 (@vertigonote)

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