【Book】たとえわかりあえなくても/『霧に橋を架ける』

こんばんは、@vertigonoteです。今宵はすっかり春めいてきたやわらかな空気のなかで、さらさらと読みたい短編集を1冊。

キジ・ジョンスン『霧に橋を架ける』。私がこの作品を知ったのは、花園magazineにも何度か寄稿していただいている作家の深緑野分ちゃんの呟きがきっかけでした。

霧に橋を架ける

彼女の言葉どおり、身を切られるような痛みと同時に、優しく懐かしい気配を持ったSF短編集です。誰かのことを「わかる」ことができない孤独が、「諦念」のほうにいかず、“繰り返し”あるいは“円環”のモチーフのなかで「それでも誰かに思いが届いて欲しい」と願う切実な声が絞り出される展開パターンが多く、私も何度も目頭が熱くなる瞬間がありました。あと確かにどの物語も動物の使い方がとても愛情深い。

たとえば『26モンキーズ、そして時の裂け目』の不思議なあたたかさ。傷ついた女性マジシャンのもとに突然現れた猿たちが現れ、消え、そしてまた現れる。永遠に続くかに思われたループにやがて訪れる新たな愛と死。「時空の裂け目」の謎がラストに鮮やかに落とし込まれ、ぬくもりがふわりと胸に灯る。

一方、『スパー』や『ポニー』の絶望はとても深く恐ろしい。『スパー』は意思の疎通が出来ずかたちもわからない生命体に宇宙船の避難ポッド内でレイプされ続けている主人公の「今」と「フラッシュバックする幸せな記憶」だけで綴られる一人称の物語。現実と過去の隙間の永遠の終わらない悪夢のリピートと、その終わり。『ポニー』のちいさな女の子と彼女の大事なふわふわしたピンクのポニーが「カッティング・パーティ」で与えられた試練と選択には『マレフィセント』のあるエピソードと同じものを感じます(とはいえマイ・リトル・ポニーを想像しつつ読むとまた印象が違うのかもしれませんが)。

表題作『霧に橋を架ける』は中編に近いファンタジー風大河浪漫。危険な霧の川に橋を架けようとしているプロジェクトリーダーの男と、危険な橋渡しを稼業にしている一族の女、永遠に一緒にいられないことはわかっている男女の触れ合いの切実さは、ファンタジー/SFという枠を超えて普遍的な「何かをつくるということ」の業に触れている。死者を出しながら、自分と同じ生き方はできない相手と真剣に惚れあって、でもお互いの生き方を変えることはできないのをふたりとも知っている。橋をつくらなければ、彼ではない。川を渡らなければ、彼女ではない。あなたとわたしは同じ場所では生きられない/けれど、あなたのことを愛している、わたしのように。

そういえば「川」や「水」のイメージが多いのも、この短編集にたゆたうような心地よさを覚えた理由かもしれません。大学生の女の子の電話の向こうで聞こえた音が人間が宇宙に抱く限りない望みにつながっていく、壮大な物語の何気ない始まりを描く爽やかでささやかな掌編『水の名前』も素敵な1作でした。ミツバチの集団の源流を求め、老犬とともに突き動かされるように向かって行った女性が最後にたどり着いた場所でもうひとりの「孤独な彼女」に出会う『蜜蜂の川の流れる先で』も印象的な物語。

著者の素敵な写真。このインタビューも面白い。

著者の素敵な写真。このインタビューも面白い。

悲劇であれ、ハッピーエンドであれ、明るい話であれ、苦い話であれ、ここに収録された短編集の多くが「わたしはわたしではないあなたのことが永遠にわからない」ディスコミュニケーションの物語であり、寂しさを他人に語ることができない女性たちの横顔を捉えているように感じられました。そしてキジ・ジョンスンはそれを決して冷笑的に扱わない。「わかりあえなさをわかりあおう」とする者たちの孤独や淋しさや願いの切なさに対してどこまでも優しい。私がこの短編集を愛おしく感じた最大の理由はそこにあったのだと思います。

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日本の平安時代を題材にとった『Fudoki』(こちらの記事を読むとなんだか時代劇版『ひげよさらば』みたい!)や『The Fox Woman』もいつか読んでみたいものです。何しろ装丁がとても素敵。(@vertigonote)

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