【BOOK】15歳の少女の、生きる武器としてのSF/図書室の魔法

こんばんは、ガーリエンヌです。
そのタイトルから、あらすじから、読書好き女子の話題をさらっているジョー・ウォルトン作のSF『図書室の魔法』(東京創元社)。
今回の花園magazineでは、本書を原文・翻訳の両方で読んだというちひろさん(@blue_champagne_)に、書評を寄稿していただきました。

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はじめまして、ちひろと言います。このたび縁あって『図書室の魔法』という本を紹介させていただくことになりました。

この題名です。帯文です。イラストです。傷ついた女の子が、本と出会い、人と出会い、癒され成長する物語であることは一目瞭然。アイデンティティの形成に読書が深く関わっている類の人間なら、思わず手に取ってしまうに違いないのです。
図書室の魔法・画像1
しかも作者が、『ファージング』のジョー・ウォルトンと来ました。あの三部作に熱狂した方には言わずもがな。本作で活きのいい語り口を聞かせてくれるヒロインは、とびきり聡明で辛辣な15歳です。中二病まっただ中な彼女の秘密の日記は、私たちの古傷をえぐる愛すべきディティール満載。未来の自分のかっこいいペンネームを夢想したことが、あなたにも無かったとは言わせません。
これはもう、読む人は読む人だから読むと言う前に読むに決まってるという本でありまして、後は全て蛇足な訳ですが、もう一つだけ申し添えてみましょう。本書こそは、15年の長きにわたる私たちのガーリー・ホリック、すなわち『ヴァージン・スーサイズ』のまどろみを覚ます、対抗呪文となる少女小説なのだと。

あの映画を見た前提で話を進めても、花園magazineなら許されると信じます。姉妹が自宅の楡の木の伐採に抵抗するシーンを覚えておいででしょうか。同一株に発するために病に弱い楡は、幽閉された家で生気をなくし、ますます互いに似かよっていく姉妹の行く末を、不吉に暗示していました。
図書室の魔法・画像2
『図書室の魔法』は、同様の樹木病に悩む、1979年のイギリスを舞台にしています。主人公のモルウェナ(モリ)が、弱りゆく木々に心を痛めつつ思い出すのも、双子の妹モルガナのこと。モルはもう、この世にいません。失われた半身の存在が、日記の端々に影を落としています。それは彼女が引きずる脚から去ろうとしない痛みのように。
精神を病んだ母からの虐待が仄めかされ、モリの脚の障害とモルの死は、母から逃げる際の事故に起因するようです。ただし本書は、母からの悪意と妹への追慕を、魔術の行使や、フェアリーとの対話といった、ファンタジックな道具立てを通じて描いており、「魔女」である母との戦いがストーリーの軸となっています。
はたして大西洋の向こうの姉妹は、死者の呪縛を逃れ、魔女から世界を救うことができるのでしょうか?

母から逃れたモリでしたが、福祉制度が壁となり、生まれ育ったウェールズの祖父の家に帰ることは叶いません。代わりに、幼い姉妹を捨てて家出した、顔も知らない実父によって、養護施設から引き取られた所から物語は始まります。
ウェールズでは「イングランド的」という意味の言葉が悪態になっているらしいのですが、新しい3人の伯母さま、そして彼女たちがモリを放り込む名門寄宿学校こそ、絵に描いたように「イングランド的」。生徒たちは、パパの車とママの毛皮、お上品なアクセントによって階級を値踏みし合うのに夢中で、物語や学問には目もくれません。当然、モリは除け者です。
図書室の魔法・画像3
http://vhely-hutchinson.com/index.php?page=home#

ドラマチックで悲壮な身の上、ここまでは正調でしょうか。しかし光明は意外に早く、ちょっと風変わりに訪れます。
モリが父・ダニエルの書斎で出会うのは万巻のSF。彼女は未読本の山に「目が血走ってゆくのを感じ」ます。初めて会う父娘は、そろって熱烈なSFファンだったのです! 「ディレイニーは読んだ?」「ヴォネガットは?」「ゼナ・ヘンダースンは?」矢継ぎ早に下問するダニエルは、父親というよりサークルの先輩みたいで笑えますが、淀みなく答えるモリもタダ者じゃない。『指輪物語』と『風の十二方位』を携えて家を飛び出したモリは、このオタク・ミーツ・オタクの幸福な感触を信じて、疎外の連続を耐えていくのです。

同時にこれは『ヴァージン・スーサイズ』が背負った不幸のちょうど裏返し。私は同作の、このシーンに差しかかるたびに祈ってしまうのです。レコードもって逃げなよ、ラックス!
図書室の魔法・画像4
とは言え、彼女たちにとって致命的だったのは、抑圧的な母の存在ではなかったのだろうな、とも思います。映画は「あなたは13歳の女の子じゃないから」という末の妹の発した言葉が、残る姉妹を内側から蝕んでいったような印象を与えます。
姉妹の日記や私物は、死後拾われても理解されることがありません。ガーリーの粋を集めた映像に騙されますが、それは拾ったのが男子だったからではなく、彼女たち自身が理解を拒んでいたためではなかったでしょうか? 理解されてしまえば、自分が「少女」という特別な存在でないことを認めねばならないから。
対照的にモリの日記は、作家になる未来、語り合う仲間がいる未来、独力で暮らせる未来を渇望します。妹の年齢を飛び越し、「モリ」というペンネームで新しい関係を築き始めた自分を肯定していきます。彼女を突き動かすのは、まだ見ぬ本の存在です。
ここに私は、少女小説の健康で頼もしい可能性を見る気がいたします。つまり、少女であることには何の意味もないが、少女と小説の間には、魔法があり世界がある。このポジティブネスは、『ファージング』三部作を貫くものでもありました。『ファージング』の各巻に配置されたヒロインは、いずれも賢く逞しく魅力的ですが、視界は限定され、どうしようもない愚かしさも抱えていて読者をやきもきさせます。それでも少なくとも、彼女たちはこの手記を書きおおせた。暗黒的な歴史改変を描くディストピア小説の背後には、本の存在自体が実は希望の証明でもあるという、書物愛の変奏が流れています。
『図書室の魔法』もまた、「妖精譚(=fairy story)」であると共に、「フェアリーに関する話(=story about fairies)」(p19)であるらしい。この日記が書かれねばならなかった背景、魔法やフェアリーが意味するところについても、読者は考えずにはいられません。
ストレートに読めば、本書の世界には魔法もフェアリーも実在しています。*1 しかし、魔法の不確かな因果則についてモリが重ねる思索は、他者に対する恋しさと疎ましさで揺れる、思春期の不器用さそっくりで、あまりに生々しい。実際モリは、自分を侮辱する級友は遠慮なく睨みつけ、「刺し貫くような眼のパワーに加え、わたしは常に杖を持ち歩いているし、消灯後にはとっておきの怪談を無理やりみんなに聞かせている」(p55-56)などとも言うのです。ひょっとしてモリって、単に霊感アピールしちゃうタイプのイタい子なんじゃないの……? 疑念が生まれてきますよね。この「あれ?」の挟み方が、ジョー・ウォルトンはとても巧みです。*2

(参考:コティングリー妖精事件
図書室の魔法・画像5肝心のラスボスである「魔女」の悪事や目的も、どこか曖昧なまま。反対に、饒舌に語られる親族の系譜(これがまた面白い)は、崩落しそうな世界を支えるための「キャラクター設定集」であるのかもしれない。そう考えていくと、前書きに書かれたことはジョークではなく、本書に含まれるたった一つの真実に思えます。
この本で描かれるすべての出来事は虚構であり、ウェールズの丘陵地帯とその下に眠る炭鉱、丘を上り下りする赤い乗合バスなど存在しておらず、一九七九年という年も、十五歳という年齢も、地球と呼ばれる惑星も空想の産物にすぎない。ただし、妖精(フェアリー)はちゃんと実在する。(p9)

程度の差こそあれ子供には、親を「魔女」と呼びかえても、自分自身の物語を作らねばならない面があります。この点では、憎めないダメ親父のダニエルや、読書クラブの友人たちも旅の仲間。その普遍的な葛藤が「世界構築の文学」という作者自身のSFの定義と響き合ったところに、本書の魅力が凝縮されているように思います。*3『図書室の魔法』は、モリが書いた生きるためのSFであり、SFという営みに対する何よりの賛歌と言えましょう。ただし忘れてならないのは、ロックなんて聞かなかったリスボン家の母と違い、『指輪物語』は元々「魔女」の蔵書でもあったということ。詳しくは述べられませんが、愛したはずの本で相手を傷つけた時、人は暗黒面におちるのかもしれません。
これに対するモリの戦いぶりは、読者の少女時代にもあった良き魔法を、再発見させてくれるに違いありません。そしてきっとあなたは、また新しい本を発見したくなる。その一冊はSFにしてみませんか。ちょうど『SFマガジン』で、新しいオールタイム・ベストが発表されたことでもありますし。

*1
フィクションの魔女や魔法に、もっと実際的な何か別の本当の意味を求めなければいけない訳ではありません。『ドラゴンがいっぱい! アゴールニン家の遺産相続奮闘記』を書いた際は、登場人物(?)がみんなドラゴンであることを文字通りに受け取れず、何の比喩かしつこく尋ねてくるファンタジー・リテラシーのない人に辟易したらしいです。(http://www.tor.com/blogs/2010/01/sf-reading-protocols)この投稿では、ファンタジーも含む広義での“SF”と、狭義の“science fiction”が区別されています。
*2【ネタバレ注意】
原書にはもう一つ大きな語りのトリックがあり、「モリ」という自称の重要性にも関わってきます。作者本人によるQ&A(http://www.jowaltonbooks.com/books/among-others/)の”the name change”は必読です。原書にあたられる方は、1979年12月16日の日記の署名にも注目してみてください。
*3
http://www.tor.com/blogs/2008/07/mainstream より。何かと物騒なSFの定義問題ですが、作者の立場は、机上の境界定義に拘泥するより、実際に何がSFと呼ばれてるかに注目した方が面白いよ、というもの。ティプトリー・ショックやSWブームの最中にあっても、作品自体への評価を揺るがさない主人公のバランス感覚は作者譲りのようです。モリは「信頼できない語り手」ですが「信頼できる読み手」には違いありません(ちょっと後出しジャンケンな気もしますが)。

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ちひろ プロフィール
20代中盤の9時5時OL。ライフワーク的に、女子と雑貨とカメラの社会史を執筆している。
TWITTER @blue_champagne_

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