【Book】「そういう女の子」だったあなたとわたしに/「女子と作文」

A Girl Writing-Henriette Browne

こんばんは。@vertigonoteです。
花園magazineを読んでくださる女子の皆さんには、ブログなどで日常雑記や好きな本や映画や音楽の話を書き綴る楽しさを知っている方がたくさんいらっしゃると思います。私ももちろんそんな一人。中学生・高校生のまだインターネットが一般的ではなかった頃には、秘密の創作ノートや日記をつけたり、授業中に後ろの子にノートの切れ端に書いたお手紙を交換したりするのが何より楽しみでした。ときには遠く離れた土地の子と雑誌の文通欄で知り合って凝ったレターセットでお手紙を書いたことがある人も、投稿欄で採用され印刷された自分の言葉に誇らしいような恥ずかしいようなドキドキを覚えながらそのページを何度も開いては頬がゆるんだ経験がある人も、いらっしゃるのではないでしょうか。

そんな女子たちだった、あるいは今もそんな女子である皆さんなら、きっと胸いっぱいになるのではないかしら?という本があります。それが本日ご紹介する近代ナリコ著:『女子と作文』です。

さまざまな「文学というジャンルではないところで」たくさんの女子たちが書いてきた文章を集積し、時代背景や人物像、出版の経緯を含めて紹介した今作。プロの文筆家であっても「本業ではない」ところで始めた女性たちのエッセイや手紙、ポエムや雑誌投稿といった、時代や場所を越えた「ものかくむすめ」たちの自己表現。ページをめくるたびに彼女たちの肉声がこぼれてくるかのよう。単なる紹介にとどまらず、あらゆる「女子たち」が書くことに抱いていた思いの強さの理由をその背景とともに解き明かしていく著者の手捌きは実にあざやかです。
女子と作文

私が特に好きなのは、当時としてはまだ珍しかった戦前~戦後の留学生女子が、日本にいる母へと向けた手紙集、1930年代の今西汎子『巴里より愛する母へ』や1950年代の新田まり子『サヤの手紙』を扱った「娘の手紙」の章です。才能に満ちた感情豊かな“お嬢さん”たち、日本では叶えられない生き方を模索する彼女たちが、思いの丈をこめて綴った手紙にあふれるお母さんへの信頼の深さ、戸惑いながら書き綴ることで「強くなっていく」姿と、彼女たちのその後。「お嬢さんの道楽」なんて決して言えない、女子の「第一歩」としての留学に、手紙という言葉を綴る作業がもたらしたもの。なんだか読んでいるだけで彼女たちと一緒に大きな冒険をしているような気分になり、同時に彼女たちを抱きしめたくなっている自分がいました。

でもなんといってもいちばんぐっときたのは“私のお気に入り”雑貨交換から始まった80年代oliveの読者投稿欄での文化交流の様子「文化系女子の女学生時代」の章です。自分が見つけた素敵な小物屋さんを紹介する少女。母の昔の写真が素敵、今日からおしゃれ教科書だ!と誇らしそうに書いた少女。田舎暮らしだけどこれも「大草原の小さな家」の世界だと思えば悪くないわ!とときめきの見つけ方を綴った少女。フランス文学にハマってる、とか古い日本映画を特集してください!だとか、なんだか全体にちょっと背伸びした感じも含めて、ああなんていとおしい「ものかくむすめ」たちなのでしょう!とホロリ。

その他、取り上げられる文章はどれも楽しい。イラストレイター大橋歩のライフスタイルエッセイの正直さと無防備の凄み。歌人・今井邦子の随筆に見える向学心と自然美への愛着。激しく生きた夭逝の詩人左川ちかのモダンガールの孤独な美学あふれる詩と散文。大正モボに寄せられた大正モガの強烈なラブレター(ちょっとホラーかも)。70年代~80年代に最盛期を迎えていた愛や恋をきらきらした比喩で描くファッション誌のコピーのようなイラストポエムの世界。主婦の悩み投稿(この先には小町が…)のリアルな「女子が家庭で生きること」のしんどさのシェアの様子。エトセトラ、エトセトラ。

紹介される女子の文章は、すべて忘れがたい魅力がありますが、私がいちばん感動してしまったのは、ここにある女子たちの言葉のなかに描かれる「私」はリアルな「私」のようでいて、「あらまほしき私」を「誰かに届けたい」という思いによって少しだけ輝きを増した「私」だ、ということでした。
olive1986前述の「文化系女子の女学生時代」の章の中にある

『オリーブ』という媒体は、「“私のかわいい”をみて!」という、この年頃の女子の欲望の受け皿であった。

という解説にはハッとさせられます。ここで紹介されている、年齢も時代も問わない女の子や元・女の子たちが書いた文章に共通する一人語りの熱っぽさやカルチャーへの愛着には「どこかに届けたい」という切なる望みがみえる。第三者を意識した「私」の存在が、彼女たちを書かせている。というかですね、今、私がここ花園magazineで書いている「私」の姿も、つまりはそういうことなわけですよ……!「現実の私」と「書いている私」は一体であり、でも全く同じではない。自分の世界を美しくしたいという願いとともにある、ここにある強烈な「読まれること」への切望は他のジャンルにない強さで、そこに女子と書くことの関係の特別さがあるのではないだろうか――そんなことを感じました。

著者があとがきで触れていたように――そしてタイトルの英題がGIRLS WRITE ALONEであることが示すように――「私」を書くということは孤独であって(孤独に気付くことでもあって)、同時に孤独であるからこそ書くという面もあります。自意識がやたらと強くロマンティストで孤独、自己満足で書いてる、ときっと口ではいいつつも、何より読まれることを渇望している/いたであろう、「私」を語りたいという彼女たちはそのままきっと「あなた」や「わたし」に置き換えられる。まだ8月ですが、おそらく私の「今年の1冊」はこれで確定になりそうです。(@vertigonote)

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