【Art】真夏の夜のドビュッシー/ブリヂストン美術館「ドビュッシー、音楽と美術」展

7月は、まるでパラダイスのよう。

その気分は、七夕を過ぎて、凌霄花の咲くのを見た頃から加速していって、海の日あたりで頂点に達する。逗子マリーナに出かけてボートに乗って、今年の花火はどこでみようなんて話して――そういう夏らしい夏もだいすきだけれど、花園ガールズにとっていちばんいとおしいのは誰もいない海、夏休みの図書館やプラネタリウムの涼やかな空気と、夜の静謐ではないだろうか。

自宅前の広場で夏休みのラジオ体操がはじまった週末、そんな涼しい夏を求めて、ブリヂストン美術館へ向かった。

 

ドビュッシー生誕150年を記念してオルセー美術館、オランジュリー美術館とブリヂストン美術館が共同開催した展覧会「ドビュッシー、音楽と美術」。
会場に入ると、一面の青い世界が広がっている。
細かなところまで青。そして、
 
「私は音楽と同じくらい、絵画を愛している」
 
という、有名なドビュッシーのことばも刻まれている。
 
クロード・ドビュッシー()は、古くは“音楽の印象派”なんて呼ばれていたフランスの音楽家だ。
展覧会――「印象派と象徴主義のあいだで」――は、ドビュッシーとその音楽を、印象主義や象徴主義、ジャポニズムや社交界との交流から紐解くという試みである。
 
主役級に目立っていたのがドニ。
今回のわたしのおきにいりはこの《イヴォンヌ・ルロールの肖像》(右)で、次がアンリ=エドモン・クロスの《黄金の島》(左)。
とにかく青とピンクのあいだのグラデーションが、印象的だった。
わたしのだいすきな、夏のイメージそのものの色。
ドビュッシーの音楽には、こういう淡い色あいと、リアルではない様式美が抜群に似合う。
 
当然、直筆譜や手紙もたくさんあって、文学館のような趣もある。

なかでもロマンティックだったのが、作者不詳の「日本の扇子」で、そこには肖像画のイヴォンヌにドビュッシーが捧げた歌が記されている。
平安時代の作法までが知られていたのかはわからないが、これだけで、ドビュッシーがもっとすきになることうけあいだ。
(正確には歌というより、オペラ《ペレアスとメリザンド》の第1幕第3場の譜面の一部が手書きしてある。
イヴォンヌはドビュッシーが親しくしていた社交界の華で、おそらく音楽家のミューズのひとりだった。
扇子の裏面には、次のようなサインも。
「イヴォンヌ嬢に捧ぐ メリザンドの妹の記念に
――ドビュッシー 94年2月」)
 
 
ドビュッシーやその時代のパリが、史上まれに見るほど国際的で学際的な社交界を生み出したことは、プルーストが書いているとおりだし、わたしはそれに魅了されて、歴史やアートの勉強をはじめた。
展覧会の試みはすばらしいし、青の世界にも魅了された。
だからこそ、ポスターや図録が、有名なルノワールの《ピアノに向かうイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロール》で統一されているのが(わかりやすいし商業的理由もわかるとはいえ)ちょっぴりくやしい
 
最大の欠落感は、会場にまったく音楽がないこと。
《ペレアスとメリザンド》だけでなく、《選ばれし乙女》とラファエル前派、《牧神の午後への前奏曲》とニジンスキーのポートレイトや、《ビリティスの3つの歌》の古代ギリシャ趣味など“テーマ音楽”も多くて、脳内は忙しい展覧会である。
にもかかわらず、多くのひとが視覚でしか楽しめないとしたら、それはまったくの片手落ちである。
この点については、音声ガイドがどういうしくみだったのか、またミュージアムショップで見つけた「ミュージック・ボタン」という音楽プレイヤー(CDアルバム1枚分の値段で十数曲収録、缶バッチのような形状のボタンにイヤホンをつなぐと音楽が聴こえる)が補足ということだったのか、次回はじっくり取材してみたい。
 そして、わたしなりの音楽ガイドもつくってみたい。
 
多くのひとが、この涼やかなる真夏の展覧会を愉しまれますように。
そしてミュージアムショップでは、マルセル・パシェによる肖像画を模した“ドビュッシー飴”を、ぜひ。
 
(高野麻衣 @otome_classic)
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